|
マウロ・マウル(Mauro Maur, 1958年8月8日 - )は、イタリアのトランペット奏者、作曲家。 == 来歴 == 1985年からローマ歌劇場管弦楽団の首席トランペット奏者を務める。人気TV番組(『マウリッツォ・コスタンゾ・ショー』、『タペット・ボランテ』、『ラ・ノッテ・ディ・マルズッロ』など)やラジオ番組に幾度か出演し、BMG Ariola、RCA、Sony Columbia、デンオンの録音演奏も担った。トランペット奏者、オーケストラ指揮者、そして劇場音楽・映画・TV番組等の作曲家でもあるマウルは、グローリア・ゲイナー、プラシド・ドミンゴ、クラウディオ・シモーネとイ・ソリスティ・ヴェネティなどと共演し、卓越した多芸多才ぶりを発揮しつつ国際的キャリアの道を直進している。 マウルは若くしてトリエステで学業を終え、ルビアーナでTony Grcarに師事し、1975年にパリ国立高等音楽院の入学試験に合格、そこでピエール・ティボーに師事し、研修過程に進む。音楽院の研修生だった当時、トゥールーズ・キャピトル国立管弦楽団(指揮者はミシェル・プラッソン)の第1トランペットのオーディションに合格する。18歳より、フランスで有名なオルガン奏者たちからソリストとしてリクエストされ、室内管弦楽団からも主要な音楽祭での共演の依頼を受ける。シカゴ・ノースウェスタン大学でアドルフ・ハーセス、ヴィンセント・チコヴィッツ、アーノルド・ジェイコブズ(en)らに師事し、研修課程を修了する。 フランスの主要なオーケストラ(パリ国立歌劇場管弦楽団、フランス国立管弦楽団、フランス放送フィルハーモニー管弦楽団)と共演し、アルス・ノヴァ、レ・ソリステ・デ・フランス、IRCAM、ブダペスト室内管弦楽団、新イタリア四重奏団などの一流楽団、さらにヘンドリックス、イゾアール、ティボー、O.バルダムリーニ、T.スコットなどの優れたソリストたちとも共演している。また、リッカルド・ムーティ、レナード・バーンスタイン、小澤征爾、ピエール・ブーレーズ、ロリン・マゼールといった有名指揮者のもとでも演奏する。 1981年、トゥーロン国際コンクールで金賞を獲得、1982年にはパリ国立高等音楽院コンクールにおいて満場一致でプルミエ・プリ(一等賞)を受賞、さらにリール・コンクール(フランス)、ローマ歌劇場、ナポリのサン・カルロ劇場、サンタ・チェチーリア国立アカデミア(イタリア)などのコンクールでもプルミエ・プリを獲得する。世界の一流室内管弦楽団で演奏し、その中には、ニューヨークのカーネギー・ホールやリンカーン・センター、ロサンゼルスのハリウッド・ボウル、ボストンのシンフォニー・ホール、ドレスデン国立歌劇場、ミュンヘンのヘラクレス・ザール(ドイツ)、ザルツブルク音楽祭、ウィーンの祝祭劇場(オーストリア)、パリのサル・プレイエル、メガロンアテネ(ギリシャ)、ソウルの芸術の殿堂(韓国)、東京のサントリー・ホール、ローマの新サンタ・チェチーリア・オーディトリウム、ヴェネツィアのフェニーチェ劇場、ミラノのスカラ座などがあり、その他多数の舞台でタルティーニ、アルビノーニ、 ハイドン、フンメル、テレマン、モリコーネ、ピッチョーニ、ロータ、ジョリヴェなどの音楽を演奏する。 著名な作曲家たちもマウルに曲を捧げた。その中にはモリコーネ、テオドラキス、ブソッティ、クレメンティ、ヴラッドなど、その他多くの有名作曲家たちがいる。映画やテレビ番組の音楽では、モリコーネ、ピオバーニ、オルトラーニ、ゴールドスミス、ドルリュー、ザンブリーニなどが作曲した映画主題歌を含み、100作品以上の映画音楽を演奏した。 マウルはM.オルブライト基金創設の「ユース・オーケストラ・オブ・ザ・アメリカ」で金管楽器の「コーチインストラクター」を担った。モスクワ音楽院、カナダのマギル大学、そしてパレルモ、フィレンツェ、ローマの各音楽院のマスターコースでも教えた。リーバ・デル・ガルダ音楽祭の国際コースでも教鞭を取り、ローマのサンタ・チェチーリア音楽院の2年間高等コースでも教えていた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「マウロ・マウル」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Mauro Maur 」があります。 スポンサード リンク
|